光圀日記 投稿者:松平光圀 投稿日:1999/09/14(Tue) 00:43:44寛永五年八月拾六日
相馬屋さんに帳面を貰つた、
常州の田舎者の身に物の善し悪しは解らぬが南蛮渡来の羅紗張りで佳き品と見えゆ、
さりとて暇人なれど詩歌を捻る興も無ひので使い途無し
思い立ちて日記なるものでも始めんと思ふ
筆才無きため美文も書けず覚え書きにならんと思うが
他人に見せる物でも無き故それも仕方なし
Re: 光圀日記 投稿者:松平光圀 投稿日:1999/09/14(Tue) 00:45:13八月拾七日
朝より小雨、八軒町成田屋さんに往診
帰りすがら物売りが早生の梨を売つていた、
まだ夏と見えれども秋既に近し
Re: 光圀日記 投稿者:松平光圀 投稿日:1999/09/14(Tue) 00:46:44八月拾八日
快晴、患者無し、往診の予定もないので
一日暇をかこつ、午後格之進と遊ぶ
格之進とは人ならず、野良の三毛也、
余程拙宅の縁が気に入ったか、晴れた日はどこからともなく
日向ぼつこをしに来る、
なぜにか我が家では格之進と呼ばれているが余所では如何に呼ばれているか知らぬ
気になつて「半次郎」「権太夫」「彦之丞」など呼んでみるが応へ無し
「助三郎」と呼んだところプイと出ていつてしまつた
何か気に入らなかつたのかと思案して居ると
水戸で助三郎といえば高麗屋の放蕩息子のことだとお吟に笑はれる
Re: 光圀日記 投稿者:松平光圀 投稿日:1999/09/21(Tue) 00:14:35八月廿一日
日記を付けると言つたもののいきなり三日坊主である
これでは後が思ひやられる
拾九日平野屋さんに往診
廿日神田屋さんに急患有り、
柴田殿の往診は翌日に回してもらうことにする
廿一日遅れていた柴田殿の往診
Re: 光圀日記 投稿者:ミトヤケ 投稿日:1999/10/14(Thu) 23:15:59大晦日に離れを整理した折、桑折の中に羅紗張りの日記帳を見つける。
冒頭の年号が寛永であるから、実に三百年以上前の古物である。流麗な草書体で綴られた古文は些か手に余るものの、我が先祖が記した市井の歴史には興味をそそられる。
などと思ってぱらぱらと頁を繰れば、何の事はない、何れも三日程度で終わり、十数年ごとに別の人間が書いているではないか。どうやら三日坊主の家系であるらしい。
残り数頁を空白のまま桑折に戻すのも惜しいので、先祖に倣って是に日記を記す事とする。
一月二日
来客もなく静かな正月である。
火鉢の側で日記を読み進む。歴史に疎い私ではあるが、元禄七年の「今般発布されし江戸市中の金魚数申請令は首肯しかねる」などという記述が、生類憐れみの令に対する批判であろうとは察しがつく。
しかし金魚の実勢調査など何の役に立つというのだ。
一月三日
奇妙な事に気が付いた。
何故かどの日記にも野良猫が出てくるのだ。その猫は「助三郎」と呼ぶと立ち去ってしまう。
因縁なのか、はたまた洒落好きな先祖が筆を滑らせて嘘を書いたのか。
此処まで書いてふと顔を上げると、障子に猫の影が映った。庭先の塀の上に立ち、書斎を窺っている気配がする。流石に気味が悪い。猫は何かを待っているような気さえするのだ。
小声で「助三郎」と呟いた刹那、影はたちどころに消えた。
一月四日
後悔している。
日記など書かなければ良かった。
仏壇の位牌に見知った名を認め、ふと没年の日付に目を遣って愕然とした。日記を書き始めて五日後に死んでいるのだ。
慌てて全ての位牌を調べてみた。間違いない。必ず五日後に死んでいる。
三日坊主で日記を放り出したのではない。日記を書き続けられなかったのだ。
一月五日
庭先で猫が鳴いている。