桜玉吉の事務所は、商店街の喧噪が届かぬ閑静な住宅街の一画にある。
"おうちマンション"という知恵遅れな名は瀟洒なマンションに相応しくないが、これは彼の事務所を訪れる者が勝手に付けた名称である。"自由の風が吹ける高台に屹立せし城"を意味するスペイン語の正式名が憶えられなかったのだ。
"おうちマンション"の前に立った私の脳裡に、『情け無用』『残虐行為手当』の文字が閃く。
――遂にその時が来た。
桜玉吉にカルドセプトを買わせて2カ月、ちょりそのぶにサターンごとカルドセプトを買わせてから1カ月経ち、対戦が実現することになったのだ。
情け無用で残虐な鬼畜対戦が。
彼らとの対戦がもたらすのは、日常では決して味わえぬ背徳の愉しみだった。傭兵経験者が戦闘の興奮を忘れられずに、死を賭して何度も前線に赴くかのような――そんな類の愉しみなのだ。
罵詈雑言を吐き散らすのは礼儀ですらあった。対戦者にコントローラーを投げつけ、CD-ROMを叩き割るのは微笑ましいエピソードでしかない。弱者に情けをかける行為は堕落の極みと痛罵され、情けをかけられた男は屈辱ゆえに仇で報いる。――弱者は徹底的に叩かなければならなかった。それが私たちの掟だからだ。
以前、私たちのゲームに参加した編集者が途中で席を立ったことがある。
「みんな普通じゃない!これって鬼畜じゃないですか!」
その通り。
私たちは鬼畜プレイを心から愉しんでいたのだ。
玉吉の事務所のチャイムを鳴らす。
目覚めたばかりだという玉吉に迎えられて居間に入ると、そこには50インチのプロジェクターが鎮座していた。久々の鬼畜プレイという宴に相応しい豪華な舞台だ。――竹熊健太郎から5万円で買ったんだ、と説明する玉吉をよそに、私は慌ただしくパワーメモリーを取り出してサターンにセットした。
頭の芯に霞がかかっていた。早くしなければと焦っていた。1分でも長く、1秒でも多く鬼畜プレイができるように。
「ノブはまだかなまだかな?あいつはコンプリートしたのかなどーかな?」
私の言葉が上滑りする。
「あー、ノブは今日、来られないんだって」
「……あ、そーなの?じゃあサシで勝負だね殺しあいだねクククク」
「実はさー、僕、ぜーんぜんやってないんだよねー」
瞬時に憑き物が落ちた。
玉吉のブックは初期状態だった。
おまけにこの男、ストーリーモードで負けそうになるとリセットをかけていたのだ。これではカードが増える筈もない。
技量の伴わぬ対戦者は弱者ではない。それは鬼畜プレイに値しない部外者であり、カモでしかない。さながら乳児を相手にボクシングをするようなものだ。倫理ではなく、緊張感に欠けるという一点で忌避の念が生じる。
――ならば為すべきことはひとつしかない。
「それでは、今日は対戦形式のレクチャーということで」
「は、ひとつよろしくお願いしまーす」
しまーすじゃねえ!と喉元にまで出かかった台詞を抑えてレクチャーを開始した。
桜玉吉に欠如しているもの、それはカルドセプトの概念である。
「端的に言えば、これはヤクザのシマ抗争だ。サイの目で着いたシマに構成員を配置すれば、そこに止まった別の組からショバ代を徴収できる。高額なショバ代が欲しいのなら、そのシマを地上げしておけばいい。一方、理不尽なショバ代を払いたくなければ抗争開始だ。ヒットマンを送り込んでタマを奪ればいい。そのシマは自分のモノになる。シマを守りたい時は、チンピラ風情に任せずにそれなりの構成員と置き換えるんだ。ただし、幹部クラスともなれば金もかかる。武器、防具にも金がかかる」
「なるほど。ガトリングガンを装備した元傭兵の銀バッジは、トカレフを持ったチンピラ20人に匹敵するがコストが高いという訳だな」
「そう。ただし、金をかければいいってもんでもない。構成員には得手不得手があるんだ」
「スナイパータイプの奴は接近戦に弱いから、鉄砲玉で充分とか?」
「――概ね正しい。例えばこいつ。デコイという喰えないヤクザだ。敵の攻撃をすべて反射する男で、虚弱ながらも組内での信望は篤い」
「佐藤の組、だろ」
「まあな。しかし、なぜかスクロール攻撃は効く。おまえの持っているそのカードを使ってみろ」
「――お、死んだ。スクロールってのはチャカの類じゃないよね。精神的にやられた感じがするから"いや〜ん毒電波"と名付けてみたが、どうか」
「……概ね正しい」
「なーんだ。マニュアル読んでも解らなかったけど、そういうコトだったの。ヤクザのゲームって書けばいいのにねえ」
違う。それはカルドセプトではない。
玉吉が吐息をついた。すでにレクチャーは4時間に及んでいたのだ。
「――まあ、大体のところは判った。しかし、佐藤って引きがいいよな。何で僕はカスみたいなカードしか来ないんだろ」
彼の質問の意図が判らなかったので、私はそういうふうに編集したからだと答えた。
「それに、玉吉のは初期ブックじゃないか」
「……ちょっと待て!じゃあアレ?これって50枚のカードを人数分、1カ所に集めてからシャッフルして配るんじゃなくて」
「そう。自分の前に自分で編集したカードが50枚置かれているワケ」
「ズルい!! おまえ、初心者相手にフル装備のカードでゲームしてたのかっ!」
「だってレクチャーだぞ、コレ。勝負じゃないんだから落ちつけ」
玉吉はコントローラーを放り投げると、身体を捻って駄々をこね始めた。
「ズルいズルいズルいズルい!僕もフル装備のカードじゃなきゃカルドセプトやらないもん」
「ズルくないもん。そーゆーキマリなんだもん。ゲームをちゃんとやらない玉吉が悪いんだもん」
「フル装備ぃー、フル装備のカードくれよぉー」
桜玉吉、37歳。彼には来年小学生になる娘がいる。
「ヤですぅ。カード集めるのも楽しいんだから、そーゆーズルはイケないんですぅ」
サイバー佐藤、37歳。私は時折、老後の生活設計を真剣に考えることがある。
違う――。
小学生レベルの口喧嘩をしながら、私の心中に悲哀が満ちていった。
残虐、冷酷なプレイを繰り広げる筈だったのだ。屈辱と懊悩が交錯し、勝者は暴君の冷笑を浮かべつつ、慈悲を装った侮蔑を敗者に投げ与える筈だったのだ。
今日のプレイは平穏すぎる――。
私は知らなかった。
この日、ノブが欠席した本当の理由を。
数日後、ノブが玉吉に牙を剥くことを。
ノブの鬼畜プレイは、水面下で静かに進行していたのだ。
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