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●10月鬼畜日 -1:掟-


「ここじゃみんな気が狂ってるんだ。私もきちがい、あんたもきちがい」
「私がきちがいだってどうしてわかるの?」
「そうに決まってるさ。でなければ、あんた、ここへ来やしなかったさ」

        ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』(高橋康也訳)



月光仮面のモットーは何だったのか?
桜玉吉はコピー機に原稿をセットしながら、そう訊ねた。
「あの変身ヒーローはどんなコンセプトで悪と闘っていたんだっけ?」
主電源のスイッチを入れる小さなアラート音と共にファンが動作し、コピー機はアイドリング状態に入った。
「僕たちは、リアルタイムで、あの番組を観ていないからね。えーと……『なるべく殺さず、赦しましょう』だったかな?」
目を瞬かせながらノブが答えた。彼は前夜、ほとんど眠っていないと言ってしきりに目薬を挿している。仕事をやっていたと主張しているが、実のところ直前までカードの編集をしていたに違いない。
「『なるべく殺さず』って、一体なんだソレ」
玉吉が笑って振り返る。長い髪を纏めるために被った鮮やかなラスタ・カラーのタムが、モノトーンで統一した室内に映える。
「いや、月光仮面って、銃をバンバン撃ちまくってたでしょ?敵が死んじゃったら仕方ないけど、生きてたら赦してやろうって事だよね。交戦時の、国際規約に近い考え方」
ノブはそう言いながら頷いた。自分の論理展開になにがしかのリアリティを感じて得心したようだ。
「アレはそんな殺伐としたドラマじゃねえだろう。あ!思い出した。『裁かず、殺さず、赦しましょう』だった」
玉吉の台詞に、私は吹き出した。
「それじゃアナーキズムだ」
「そうだね。犯罪者は司法の手に、委ねなくちゃいけない。やっぱり『なるべく殺さず』で合ってるな」


私は爆笑しそうになるのを堪えながら、手で弄んでいたウサギの足のキーホルダーを胸ポケットにぶら下げた。
「佐藤、まだそんな悪趣味なモノ使ってたのか?だいたいおまえ、懐疑論者なんだろ?そんな奴がギャンブルのお守りに縋るのは矛盾してると思わない?」
「ああ、こんなグロテスクなモノを幸運のお守りにする欧米人の感覚は理解しがたいよね。ま、懐疑論者でありながら敬虔なクリスチャンである人間も大勢いるんだ。宗教観と懐疑的姿勢は相反しないんだよ」
「無神論者のクセに、都合のいい事を言う男だよなあ。ところでおまえ、正解知ってるんじゃないの?」
「――『生かさず、殺さず、赦しましょう』」
すかさずノブが指摘した。
「目が、笑ってる。嘘を言っている」
「うん。でも恐怖政治的な行動原理の月光仮面って面白くない?悪は赦免されるけど、以後は生かさず殺さずの悲惨極まりない生活が待っている」
「犯罪抑止効果はあるだろうけど、面白けりゃいいって発想は如何なものか――あ、思い出した。『憎まず、殺さず、赦しましょう』じゃないか」

玉吉は頷きながら冷蔵庫を開けた。紅茶、緑茶、ウーロン茶、ジャスミンティー……事前に買い込んだ大量のペットボトルが押し込まれ、冷蔵庫の周辺には収納しきれなかったペットボトルが溢れていた。
私たちのゲームは、内実を知らぬ人が見れば健全で模範的なプレイに見えるだろう。一切のアルコールを口にせず盤面や画面に集中している姿は、青少年の規範とすべき理想のプレイスタイルとして永く語り継がれるかも知れない。
――判断力を鈍らせる要素を極力排除し、大脳の活動を活性化させるためにカフェインを大量に摂取しているだけなのだが。
そもそも禁酒はハウスルールですらない。鬼畜対戦でアルコールを飲むプレイヤーがいても、注意を促すこともなく淡々とゲームは進行する。数ミリ秒の反射遅延、知覚できないレベルで意識にかかる酩酊の霞。あえてそんな状況に身を置きたいという者は、好きにすればいいのだ。ただし、アルコール摂取を敗北の言い訳にすることだけは許されなかった。

「『許す』のと『赦す』は意味が違うよな。前者は許す側と許される側に共通認識の基盤があるけど、後者からは傲慢で独善的な匂いがする。つまりさ、月光仮面は鼻持ちならないヤツなんじゃないかって気がしない?」
玉吉は椅子に浅く腰掛けて緑茶を飲んだ。
「憎まず、殺さずまでは判る。これは当時の子供向けヒーロー番組じゃ不可欠な要素だったろうしさ。だけど、『赦し』ちゃいけないよなあ。明らかに悪人より高みに立ってて、悪に対して失礼じゃないかと思えるわけだ。――こうも考えた。ひょっとしたら、月光仮面は自分の力を過信していたんじゃないだろうかって」
ノブは煙草に火を点けると、ぼそりと言った。
「本当に、強かったんだろう」
月光仮面のモットーは、玉吉が惨敗を喫したカルドセプト対戦の比喩へと変貌していた。釣ったのは玉吉なのか、それともノブなのか――私は静観することにした。


「ノブくん、いい指摘です。本当に強ければ余裕も出る。ある状況に必死に対処して事態を終息させるってレベルに較べれば、はるかに多くのことを考えられるし、その上で敵をコントロールしようって気にもなる。
穿った見方だけど、月光仮面は正義を成す以外の――何か別の目的があったんじゃないかって考えちゃうワケだよ。ヤツの寛容な態度、博愛主義的なポーズの裏には、何か企みがあるような気がするなあ」
「ずいぶん、したたかな正義の味方だよね」
したたかだろうさ、と私は考える。そうでなければデータ奪取なんて達成できなかった。
「まあ、子供向けヒーロー番組だしな。そんな裏なんてないんだろうけどさ、もしも――もしもあの話が現実だったとしたら、悪の組織も当然そこに気がつくだろうし、ガキでも判るバレバレなワナじゃなく、もっとリアルで狡猾なワナを仕掛けると思うんだよ」
ゲームを成立させるルールを変更し、自分が有利になるよう状況を支配するわけか。それとも、これは私たちに対するブラフなんだろうか?
「たとえば、玉吉だったら、どんなワナを仕掛ける?」
「そうだな。正義の味方が敵と対決しようと決意した瞬間――“決意”という意志決定そのものが、即座に敗北に繋がるような手段なんかいいよね」
「どういう意味だ?どんな策なんだ?」
「策?あのさ、ノブ。別に僕はヒーローもののマンガを描こうとしている訳じゃないし、具体的なアイデアなんてないなあ。あくまで仮定の話だし」
肩慣らしのラリーの応酬は玉吉にポイント1。


だが、玉吉の提示したコンセプトには矛盾がある。“対決の意思表明が敗北を意味する”のだとしたら、プレイヤーは自らの損害を最小限にするべくゲームへの不参加を表明すればいいだけだ。これでは、カルドセプト鬼畜対戦そのものが成立しなくなる。
それとも――先月、玉吉が電話で語ったルールは根拠のないブラフだったのだろうか?
コピー機のアイドリング状態が終わり、ソーターにセットされた数枚の原稿をコピーし始めた。
「ま、それはそれとして。コピーができたようだからルールの説明を始めようかね」
ふふ、と玉吉は含み笑いを漏らした。ひどく愉しそうだった。


私とノブが玉吉の事務所に到着したとき、玉吉はパワーメモリーの提出を求め、そのカートリッジを隣室にある机の上に置いた。バッグやブルゾンなど、カートリッジを収納できそうなものも隣室に移された。
公平を期すための措置だ、と彼は言った。巨大なディスプレイが置かれた部屋には内蔵RAMを初期化したサターンが鎮座していた。
「ブック編集に制限は設けない」と確約した男にしては、妙な措置だ。

「実は、ルールはふたつ考えてある。僕がルールを説明した後で、どちらのルールでプレイするか選べるわけだよ」
タムを被り満面に笑みをたたえた玉吉を見ていると、観光客を路地裏に誘い込んで商談を始める胡散臭いラスタファリアンを連想してしまう。
――なあ、破格の条件じゃないか、ブラザー。いますぐ決めるべきだね。カードでもキャッシュでもOKだし、だいたいこのシマでハイレ・セラシェの御心を無視するような無謀なヤツはいねえ。言ってるイミわかるよな?
「ルールAは二人が編集したブックをレギュレーションなしで使えるプレイだ。
ルールBには捻りを加えてある。向こうの部屋にメモリーカートリッジを置いたのも、ルールBに決定した場合の措置ってワケだ」
ここまでの話では、ルールAの方が有利にゲームを展開できるように思えるが、即断は禁物だ。玉吉はどちらのルールにも等分に制限を設けていることだろう。

玉吉はコピーの束からイラストを描いた紙を抜き取ると、私たちに配った。
「ルールA。その制約はシンプル。コントローラー操作にのみ条件をつける」
私は筆で描かれたイラストを眺めた。とりたてて複雑なコントローラー操作を図示したものではない。ミスを修正していないのか、ボタンを押す右手親指の下に、もう1本指が描かれているが――いや、これは指ではない。
「待て待て待て!親指の下にあるのは、これは……」
「そーです。チンポですッ!! 」
玉吉は高らかに宣言した。
「ルールA、プレイヤーは指とボタンの間にチンポを挟み、全てのボタン操作をチンポで行うこと!勃ったらその場で負けだッ!! 」
「それは……きっと、イタイよ」
「痛い以前の問題だ!おまえらバカか!? 何が悲しくていい歳をした男が下半身を丸だしにして、チンポでカルドセプトをやらなきゃならないんだ!」
「高度な駆け引きが展開するぞぉ。敵のチンポを勃てれば勝ちなんだから、エロ話にも力が入る。でもそれは、自分が勃起しちゃうリスクがあるワケだねー」
反論しようとしたが、自制した。
頑強に否定してはいけない。玉吉を挑発してはいけない。こいつは、やる。本気でやる。私たちが恥辱にまみれたルールAを嫌がって彼を罵倒し、あるいは翻意させようと言葉を重ねるほど玉吉の中で決意の水位が上がり続けるのだ。私たちに与えるダメージが自らの羞恥心など問題にならないほど高いと判断した瞬間、彼は「ルールBは放棄!」と宣言するに違いない。
“対決の意思表明が敗北を意味する”とは、このことだったのか。このルールで参加表明するのは、人間の尊厳を捨てるのと同義ではないか。

――私は、サターンのコントローラーをデザインした男を知っている。
私たちがチンポで操作したと知ったら、彼はにこやかに笑いながらこう言うだろう。
「マジっスか?チンポでゲームするなんてマジ凄いっスよ!チョー痛くなかったっスか?いやぁ、いくらオレでもチンポで操作することを前提にデザインしてませんもん」
彼はひとしきり笑った後で、こう言うだろう。
「……そおかぁ。佐藤さん、チンポで操作したんですかぁ」
それはイヤだ。そんな状況はイヤだ。この世のあらゆる恥辱を背負った“カワイソウな人”を見る目の底に、侮蔑の色が覗く――そんな目で見られるのは耐えられない。
「んん〜?二人ともどうしたのかな、黙り込んじゃって。そおかぁ。みんなこのルール嫌いかぁ。せっかくイラスト描いたのに、おじさん困っちゃうナ。もうひとつのルールでやるしかないじゃないかぁ」
玉吉は実に嬉しそうにそう言った。天性のエンターテイナーなのか、強引にルールBを採択させる手段なのか――いずれにしろ桜玉吉は底が知れない男だ。


「仕方ないなあ。ルールBの説明をしまーす。このルールのコンセプトは、“初心者と熟練者が対等に渡り合えるゲーム”だ。――まあ、二人ともレアカードを大量に投入したブックを編集してきただろうけど、ルールBになった以上は、そのブックは使えない」
「おまえは、この前、『カード制限はしない』と言った」
「ルールAなら無制限だよ。あれ?そう説明しなかったっけ?」
私たちに無駄な時間を浪費させ、睡眠不足になるよう仕向けたのか――穿った考えだが、あながち間違ってもいないだろう。私がルールを決定するとしたら、敵に無駄な努力を強いるべく曖昧な言葉でルールの一部を提示するだろうから。

「初心者と熟練者には技量の違いがある。ゴルフではハンディをつけて技量の差を埋めるけど、まあ当然そんなヘタレた措置で納得するおまえらじゃないよな。
だったら、カードの種類を極端に制限してみるのはどうかと考えてみた。一見して公平だけど、実はプレイヤーの技量にまでは制限を及ぼさない方法だ。――調べてみるとマジック・ザ・ギャザリングのトーナメントが、このルールを採用してたんだよね。“シールド戦”っていうんだけど、参加者は未開封のスターターデッキを規定の数量分使って、試合直前にデッキを組んでトーナメントに臨むわけだ。
ルールBは、このシールド戦をプレイする」
「つまり、初期ブックで、対戦するの?」
「……あのな、玉吉。カルドとギャザリングの違いを把握しているか?スターターデッキはある程度ランダムだし、規定数内から取捨選択することでオリジナリティが高くなるけど、カルドセプトの初期ブックは4パターンしかない」
私はそう指摘した。


初期ブックはクリーチャー28枚、アイテム8枚、スペル14枚で構成されているが、アイテム、スペル、そして無属性クリーチャー8枚はどのブックでも共通だ。残るクリーチャーカード20枚は“地+水”“地+火”“火+風”“風+水”と、2属性各10枚で構成された4つのパターンが用意されているだけだ。
「ん。その通り。初期ブックのままプレイするのは芸がないもんな。だからこいつにランダムな要素を加味してみたらどうだろう、と考えたんだよ」
玉吉はコピーしたルールを差し出した。
「本対戦の前に、ブックにランダム性を加える“調整戦”を行う。――これが変更点その1」

私は調整戦の項目に目を走らせた。
“調整戦は各自20分の持ち時間が与えられる。
各プレイヤーはメインキャラクターとダミーキャラクターを作り、カード交換などの手段でブックにランダムな要素を加味する。
持ち時間を超過した場合、強制的にリセットをかけられる”
――制限時間内にどうにかしろ、ということか。

カルドセプトは、すでに獲得しているカードの交換はできない。また、新規カードの交換も1枚のみと設定されている。
結局、初期ブックからカード交換で入手できるカードは、自分が所有していないクリーチャーカードを数種類、各1枚しかない。そのうえ互いの手持ちカードに余剰分はないので、仮にダミーキャラのクリーチャー10枚を自分のブックへ持ってきた場合、自分のクリーチャー10枚を相手に渡さなければならない。
このゲームは、ブックが50枚きっかりでなければ編集を終了できないからだ。
しかも2属性のクリーチャーから数枚を削って別属性のクリーチャーを混入すると、ブックコンセプトは稀釈されて攻撃・防御面での弱体化を招来する。――言い換えれば初期状態でのカード交換は愚行と同義なのだ。

考えてみれば、ダミーと自分のブックが偶然にも同じ属性で構成されている可能性もあるではないか。その場合は1枚たりともカード交換ができず、初期状態のまま本戦に挑まねばならないのだ。
だとしたら結論はひとつだ。本戦を有利に展開するにはダミーキャラを自分で操作して疑似対戦を行い、対戦後に獲得できる新規カードをブックに組み込むしかない。
“カード交換などの手段”と含みを持たせた表記からして、私たちがダミー対戦を行うのを前提にしたものと考えていいだろう。ダミー対戦に思い至らない者にわざわざ教示してやる謂われはないし、抜け道を教えなかったと抗議する者は嘲笑されるのがここの掟なのだから。

「調整戦では、残りのふたりは別室で待機すること。こうすれば、どんなカードをどう編集したか判らないしね。ちなみに20分という制限時間には、キャラ作成からブック編集まで含まれているのを忘れないように」
ノブが私を見た。――20分でそこまでできるのか?と彼の目が問いかける。
可能なのだろう。いや、可能だ。調整戦を採択した玉吉が憶測で制限時間を設定する筈がない。彼はすべてのマップで何度もダミー対戦とブック編集を行った上で、“慣れたプレイヤーには僅かに時間の余裕があり、不慣れなプレイヤーが確実にタイムオーバーする”ぎりぎりの時間を算出しているに違いない。

私たちが黙しているのを承認の意思表示と見て取った玉吉は、引き出しの中から新品のパワーメモリーを3本取り出した。
「キャラデータはこのRAMに作るように。ま、対戦時の本体RAMへの転送とか細々とした事はルールに書いておいたんで、よく読んでおいてね」
私はざっと該当項目をチェックした。ブックデータを他者の目に触れさせないよう考慮した、煩雑なプロセスが記されている。――待機中に熟読すればいい項目だ。

「だけど……ランダム調整なんて、地味だね」
ノブの感想に玉吉が頷く。
「地味だ。とてつもなく地味だ。地味に一人でブック編集するのも味気ないんで、調整戦にも勝負を導入してみました」
彼は麻雀で使う点棒が入ったトレイを配った。小物を整理するトレイには、各種の点棒が分類されて入っている。大量の点棒を揃えるために、最低でも2セットの麻雀牌を調達したに違いない。


「これ、1万点棒を100ポイントに換算してね。細かい点棒も含めて800ポイントずつ入っている。えーと、1万点棒3本、5000点棒6本、1000点棒16本、100点棒40本……これを対戦でやりとりするんだけど」
「玉吉。僕の点棒、790ポイントしかないです」
「あ、ごめん。数え間違えたか」
玉吉は余剰分の点棒が入ったケースから1000点棒を取り出すと、私のトレイに入れた。
「えーと、何だっけ?そう、対戦前に勝負が始まってるって話だった。
調整戦はシビアにいく。20分経って編集が終わっていない場合、強制的にリセットをかけて、初期ブックで対戦することになるんだね。
ただし、特例として50ポイント払えば2分間だけ時間延長が認められるようにした。
つまり、時間を買うことができるんだな。
逆に20分以内に編集が終了していた場合には、残り時間は1分4ポイントに換算して報奨ポイントが貰える。……ここまではいいかな?」
「つまり、早くブック編集を終わったヤツが、ポイントでリードできるんだね」
苦笑を浮かべたノブは、ちらりとこう考えたに違いない。――調整戦開始と同時に終了を宣言すれば、80ポイントの圧倒的リードになる、と。
私も同じ事を考えたが、それはリスクが大きすぎる。

「2分を50ポイントで買うということは――あと1分以内で編集が終わりそうだと見積もった場合、1分を25ポイントで買えると考えていいのか?」
「それは甘いぞ、佐藤。たった1秒でも50ポイントだ。これは1秒2.4ポイントが積算されて50ポイントになったんじゃなくて、“強制リセット回避の権利”を50ポイントで買うんだと考えてくれ」
「判った。もうひとつ質問がある。本戦では1ゲーム終了ごとに新規カードを獲得できるよな。それを編集する場合、そこでもポイント制は適用されるのかな?」
「適用しない。対戦が終わったら、ひとり5分の持ち時間内でブック編集をする。そこでタイムオーバーしたヤツには問答無用でリセットをかけるだけだし、泣き喚いて何百ポイント差し出そうとも、延長は認めない」
なるほど、と頷いて私は考えた。――ブック編集に5分。すると玉吉は15分でキャラ作成からダミー対戦までが終了すると計算している訳か。

カルドセプトはマップによって獲得できるカードの種類が異なっている。短時間で終わるマップよりも、時間のかかるマップの方がストレンジやレアなカードが出やすいのだが、調整戦でそれらのマップを選択した場合15分内に終わる目処が立たなくなる。
時間内にダミー対戦を終わらせるには小さいマップか、中程度のサイズで分岐路があるマップを選択するしかなく、それは強力なカードの入手が困難になる事を意味している。マップ10『暗黒の奈落』でも運にさえ恵まれれば制限時間ぎりぎりで終了できるかも知れないが……私はそこまで考えて愕然とした。
そもそもマップ10では対戦できない。中盤以降のマップはストーリーモードのクリア後に初めて対戦できるようになるからだ。新規作成キャラが対戦できるのは序盤の数マップだけだ。
――つまり調整戦は“熟練者に強力なカードを与えない”コンセプトで構築されているのだ。

「他に質問はないかな?」
ルールを読みながら、私は思う。これが鬼畜対戦でなければ、質問だけで1時間を要するところだ。
――ここのAという表現が曖昧だけど、もしこうなったらどうします?その場合、こんなケースも考えられますよね?そういう所で諍いが起きるのは嫌ですから、もっと細かい所までキッチリ決めた方がいいと思いますよ。
こうした細目の決定は、記述通りに行動する事でゲームを円滑に進め、対人関係に遺恨を残すまいとする考え方だ。そこでは文理解釈と反対解釈しか許されない。


しかし、鬼畜対戦ではルールの拡大解釈、縮小解釈、類推解釈までもが許される。
――Aと表記されているが、これはA'やa、a'という概念まで包括すると考えられる。
――Aと表記されている以上、厳密にAという概念についてのみ適用すべきだ。
――Aとしか表記されていないが、A的と類推されるC、G、Hは当然この適用範囲内にある。
これらの解釈が導き出される基準は“自身の優位性を獲得できるか否か”だ。任意の解釈で展開が有利になると判断したプレイヤーは、その解釈を戦略・戦術に組み込んだプレイを展開しても構わない。
ただし、恣意的な解釈には論理的整合性が求められるのも事実で、敵の意表を突く行動を採るプレイヤーはその理由を問いただされる事になる。
「どんなバカな解釈をこの一文から展開したんだ?ちょっとオジさん達に説明してみなさい」
そこで他のプレイヤーを説得できなかったり、確たる理由のないフライング行為だと露呈した場合、そのプレイヤーは「カス」と鼻で嗤われて多大なペナルティを課せられてしまう。


「それじゃ、次のルールを説明しようか。
100円玉と50円玉を1枚ずつ用意してくれ。――ああ、別にちまちまと小銭を賭けようってワケじゃない。コイン以外でもいいんだけど、触って簡単に判別のつく2種類のアイテムは硬貨が最適なんだよね。で、これはある意志決定に使う」

玉吉は新たなルールを記した紙を配った。冒頭に記された6文字のタイトルを見た瞬間、私はルールの真意を理解した。
「これは――そうか、これなら瞬発力と運が重要なファクターになる」
しかも、弱者に仕立て上げられた玉吉が自らのウィークポイントを完全に抹消できるよう設定されたルールではないか。
「厳密に言うと運を覆す手段もあるんだけどね」
玉吉にそう指摘されるまでもない。そうだ。そのために必要なカードがある。
私の脳裏にあるカードの絵柄が浮かび、それが初期ブックのカード数枚を押しのけて配置されてゆく。……何としてもあのタイプのカードを入手しなければならない。入手できれば圧倒的に有利になる。


「このルールは少し詳しく説明した方がいいだろうな。瞬時の判断に誤解が介入するのは避けたいし、なにしろココでは意志決定後の変更を認めてないしさ」
どんな事情であれ意志決定後の変更は認めない――それが掟だ。しかし、玉吉がルールを細部まで設定したという事実から推測すると、このルールに関しては可能な限り文理解釈で展開したい意志が読みとれるのだ。
何が弱者だ。したたかな鬼畜プレイヤーではないか。

玉吉はルールを説明した。現時点で考えうるあらゆるケースを想定し、ときに具体的な事例を引用し、詳細かつ執拗に語った。
遺漏なきように。ルールを根底から覆す解釈が介入する余地がないように。
――これらの条件が揃ったとき、ルール2は始動可能となる。
――ルール2の発動は特定の数値が基準となり、それ以外の条件下にプレイヤーが置かれた場合は無効と判定される。
――発動後の意志決定は、このように行う。意志決定の結果は以下の10種類に分類されるが、特記すべき意志決定は3種類しかない。
――3種類の意志決定がなされた場合、状況は次のフェイズへと移行する。

面白い。
私は玉吉が提示したルールに魅了された。彼が自らの弱点をフォローすべくカスタマイズした設定は、私のプレイスタイルに合致していたのだ。
「……とまあ、こんなところかな。質問は?」
彼の視線が私とノブを促した。この瞬間の「質問は?」という言葉は、軍事行動前のブリーフィングで上官が示す態度と同じニュアンスを含んでいた。
兵士は計画立案に対して疑義を呈してはならない。その計画を把握できぬ者は兵士の資質に欠けている。その計画を遂行できぬ者は兵士としての能力に欠けている。よって兵士は上官に質問してはならない。唯一許される質問は、士気を鼓舞すべく発せられる一言だ。
――サー、つまり奴らを完膚無きまでに叩きのめせばいいんですね?
「……これは、カルドセプトとは、いえなくなる」
軍法会議ものの失言が、ノブの口から漏れた。

「いやあ、カルドセプトだよ。多少アレンジしたけど、それは制限カードを決めて対戦するのと同じレベルの修正だな。ローカルルールはカルドの本質に影響を及ぼさないってオジさんは思うな」
玉吉は白々しく受け流した。――何が修正だ。カルドセプトを瞬発力と運がモノをいうヤクザなゲームに変貌させるべく周到に仕組まれたルールではないか。
カルドセプトの本質は変わらない。それは事実だ。だが、ゲームの性格は変わってしまったのだ。


「カルドセプトの本質は、変わらない?」
ノブは玉吉を見据えて訊いた。曖昧な質問だったが、慎重に選択された言葉だと判る。彼は含みを持たせた質問に答えろと要求しているのだ。
「変わらないなあ」
公明正大を自称する政治家が、疑惑について記者団に追求された際に浮かべる表情で、玉吉はかわす。――政治の世界がクリーンだと思っているお人好しはいないだろうね?君たちは阿吽の呼吸を知らないのかね?公の場では疑惑を否定する以外ないという事を知っているだろうに。
玉吉は確信を持って返答している。それが詭弁であると承知している。

「佐藤は、どう思う?」
ノブの視線が私に向けられた。
玉吉の詭弁を論破するのは簡単だ。ゲームの性格が一変したと指摘し、カルドセプトが本来有している理知が勝敗を決する展開を重視すべきだと言えばいい。
だが――私は彼が提示したルールに惹かれているのだ。末梢神経が剥き出しとなり、場を支配する一触即発の空気すら感じられる、そんな熱い局面が何度も訪れるだろう展開に心奪われているのだ。理知の及ばぬ領域を凌ぎきり、みごと勝利する――それは愉悦以外の何者でもない。運命のサイコロ遊びに耽溺するのは危険だが、状況を凌ぎきる手練手管を知らぬ訳でもない。
そして、運が重視される展開はノブが最も厭うものに他ならない。彼は戦略や戦術がランダムな要素で覆り、理の蓄積によって構築された優位性が瞬時に瓦解する状況を“正しくない”と見做しているのだ。そのうえ、彼は幸運の女神の前髪を掴み、その場に留める術を知らない。
このルールが採択された瞬間、彼は著しく不利な局面に置かれる事になる。
――だとしたら私は玉吉の公式見解を、偽りと知りつつバックアップするしかない。
「本質は変わらないな」

私の返答にノブは黙したまま考え込んだ。
不意に、私の中で警告する声があがった。――そもそもノブはこのルールに反対しているのか?違う。本質が変わるか否か、それを私たちに確認しただけではないか。
このルールでカルドセプトの本質を根底から覆すのは可能なのだろうか?
……不可能だ。ローカルルールごときでプログラムされた内容は変更できない。
私の首筋にちりちりとした感覚が走る。発せられた警告の正体が掴めずにいる焦燥感だ。
ノブはゆっくりと6文字のルール名を呟き、続けて言葉を重ねた。
「これはローカルルールで、カルドセプトのルールは、生きている。そう考えていいよね?」
「当然。僕たちはカルドセプトで対戦するんだから」
玉吉の表情に、ちらりと影がよぎった。彼も私が抱いたのと同様の“何か”を察知したのだ。
「わかった。このルールで、やろう」
ノブに続いて私も賛意を示した。

ルールを煮詰めた玉吉は、遺漏がないよう細部にまで分け入ったがためにルールが内包する陥穽に気づかなかった。
私はルールの把握に奔走し、何よりも私を利する局面にのみ気を取られて全体を鳥瞰する事ができなかった。
このとき――
ルールが内包する危うさに気づいていたのは、ノブひとりだけだった。
彼は、ある解釈を導入すればカルドセプトの本質すら覆るのだと理解していた。
そう。ゲームの性格が変貌するだけではない。
カルドセプトそのものが変貌してしまうのだ。

私と玉吉は、後に異常な状況に直面する事になる。

続く

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