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●8月屈辱日



桜玉吉が嗤っている。

嗤いながら片手で持ったコントローラーを私の目の前に掲げてみせる。

――方向キーは使わない。貴様なんか親指1本で充分だぜ。

――余裕じゃねえか、と応える私の声は怒りに震えていた。

私は負け続けていた。熱くなってもいた。現状を打破できぬ己の不甲斐なさに憤り、敵である玉吉に激情をぶつけたのだ。
怨嗟。それは弱者の証である。弱者は礼を持って遇しなければならない。それゆえ玉吉は完膚無きまでに私を叩きのめす戦術を採択したのだ。

画面内で玉吉の操るキャラクターが投球モーションに入り――投げた。
私の反応と彼の哄笑が弾けたのは、ほぼ同時だった。

――こいつカス!本当に空振りしてんの!

私はコントローラーを床に棄て、2枚のチップを玉吉に投げつけた。

――この試合の負け分と放棄分だッ!

――辞めちゃうの?こぉんなに笑えるゲームなのに。

――クソ野郎がっ!! 僕はもう、一生ファミスタなんかやらん!!

私の捨て台詞に、彼は心底おかしそうに嗤い続けた。



激情は持続しない。それは時間の経過と共に霧散し、平穏な感情に取って変わられるものだ。そうでなければ人は狂ってしまう。
だが、屈辱の記憶は鮮烈に残る。
あれは一時の激情だったと意を曲げて再びファミスタに手を出せば、自尊心は地に堕ち卑となり果てる。だから私は10年前の対戦以来、屈辱の源たるファミスタを、野球系のゲームを封印してきたのだ。
自らを貶めた人間が、立派な鬼畜になれる訳がない。



「あんな屈辱は初めてだ!ああ畜生、思い出すだけで腹が立つ!! 」

受話器ごしに、吐き捨てるように言い放つ玉吉の声が聞こえる。ノブと対戦したばかりの彼は、10年前の私のように激昂していた。
玉吉は温厚な男である。私が知る限り、日常生活で声を荒げた事はない。だとしたらどんな挑発が怒りを誘発したのだろうか?私にとっては未知数であるノブの戦術を知りたくなった。

「初めから話してくれないか?」

「あいつ、仕事が終わると同時に、この間できなかったから対戦したいって言い出したんだ」



――先週はどうしたの?あんなに楽しみにしてたのに。

手際よくパワーメモリーをセットするノブに、玉吉が訊く。

――急用があったからね。……うん、急用があったんだ。

自らに言い聞かせるかのように、彼はその言葉を繰り返した。
玉吉は軽い違和感を覚えた。わずか1カ月で300枚強のカードを集めたノブは、端から見れば“カルドセプト耽溺症”としか形容できない状態だったのだ。そんな男にとって、対戦は最優先事項ではなかったのか。
急用は、と口を開きかけた玉吉を遮るようにノブが言った。

――ところで、ほとんどやってないなら……仕方ないね。軽くやろうか。

“仕方ないね”とは“子供相手に本気は出せない”の謂いである。玉吉の自尊心を逆撫でする物言いだった。

――言ってくれるねえ。じゃ、ひとつガキ並みの私を教育してやってくださいよ。

『屈辱には報復で応える』をモットーとする玉吉は、ノブに苦汁を舐めさせるべく妨害工作にのみ的を絞ってゲームを展開したが、それが裏目に出た。ノブは妨害を軽くいなしながら素早く土地の連鎖を形成し、配置されたクリーチャーを交換してみせたのだ。

――これは足止めオールドウィロウ。

ノブは画面を指さして説明した。

――サイコロでどんなに大きい目を出しても、素通りできない。必ずここに止まるんだ。止まって、お金を落としてく。

出来損ないのマザーグースみたいな奴だ、と玉吉は思った。

――勝てばいいんだろ?勝って土地を奪えば。

――でもね。おまえの手札じゃ、無理なんだ。



「ああ、そういう事か。確かに腹が立つ台詞だ」

「違う!問題はその後だ」



カルドセプトは最大4枚まで使用可能な、3系統360種のカードで構成されている。
プレイヤーは1400を超える選択肢の中から50枚を抽出して“ブック”を編集し、ゲームに臨むのだ。
――ブック編集はカルドセプトの要である。漫然と編集されたブックは、戦略レベルで敗北していると言っても過言ではない。
ノブは足止めトラップを効果的に生かすブックを編集していた。そのコンセプトは明解の一語に尽きる。

“対戦相手から金を毟り取る”

オールドウィロウが配置された時点で、対策手段を持たない玉吉は生けるキャッシュディスペンサーとなり果てた。行き着く先は破産しかない。
しかも、このゲームは破産者が出た時点で終了となる慈悲深さとは無縁だ。誰かが目標金額に達するまでは屈辱を伴侶として賽を振り続けなければならないのだ。

初めの破産者はコンピュータプレイヤーのコーテツだった。コーテツは僅かばかりの金をあてがわれて歩を進めた。
哀れ、と思う余裕が玉吉には無い。
いや、むしろ――

(あんなふうに土地を没収され、手許に何も残らなければ……いっそ気が楽になるかも知れない)

彼は自身の破滅に憧憬すら覚えた。“無能な敗残者”という忌まわしい言葉が脳裡をよぎった。

(違う。破滅じゃない。僕は解放を求めているんだ)

玉吉を現状に拘束する軛――それは守るべき土地に他ならない。それさえなければ全てのクリーチャーに甚大な被害を与えるカード“テンペスト”が使えるのだ。
逆転の可能性は低いが、勝機はそのカードにしかなかった。



しかし、いつまで経っても玉吉は破産しなかった。そればかりか、無為にターンを重ねたにも関わらず手持ちの金が増えているではないか。
彼が状況を理解したのは、3度目にトラップにはまった直後だった。

――ノブ……いま、何をした?

――ん?ああ。アレは“バランス”って言う、全体魔法。順位の低いプレイヤーほど、お金がたくさん貰えるカード。

――そんな事は判ってる。何故そのカードを使うのかって訊いてんだよ!

――だって。そうした方が、イイでしょう?

ノブは小首を傾げ、守護聖人の慈悲に満ちた微笑を浮かべてみせた。
その瞬間、玉吉はキレた。



「思わずテーブルにチップを叩きつけちゃったねー。『やめだやめッ!負け分と放棄分を持ってけ!! 』って。あいつ何様?初心者に恩を売る人格者を気取りたいんなら卑劣なトラップ作ってんじゃねえよ、と私は言いたい。その行為が善意だと誤解しているなら、いっそ殺してくれ、と私は強く言いたい。それが鬼畜の善意だよな」

違う、と私は答えた。

「あいつが“慈悲は最大の侮蔑”っていう不文律を知らない筈ないだろう?善意でも慈悲でもなく、むしろテンペスト封じの戦術だったと考えられないか」

「まあ、そう言われてみればそうか。いやあ、その後は頭に血が昇ってたから口もきかないでノブの好きにさせてたけど――」

玉吉が唐突に言葉を切った。それまでは意識していなかった背景音が受話器から流れてくる。長い沈黙だった。

「……なあ佐藤、カード交換ってそんなに時間がかかるの?」

「枚数にもよるけど、数枚程度だったら即座に終わるよ」

「そうか。普通そうだよな。――あのさあ、僕、嵌められちゃったみたい」

策士だよな、と独りごちて彼は乾いた声で笑った。

「僕を怒らせるのが目的だったんだ。いや、目的達成の手段か。あいつさ、終わってから『あれ。佐藤のデータがある』って言うんだよ。『何枚か交換したいんだけど、時間がかかるからコピーしていい?』って」

私の鳩尾が冷えた。



迂闊だった。あまりにも無防備だった。
私は前回のレクチャーでコンプリートカードをせがむ玉吉に根負けして、データを残してきたのだ。
カルドセプトはプレイヤーの経験が反映されるシビアなゲームだ。それゆえ、カードの効果を知らぬ男が全360種のコンプリートを成し遂げたところで、私に実害はない。ある意図をもって編集したブックを見られたとしても同様だ。玉吉にとって、私のブックはカード編集の参考にできる程度の意味しか持ち得なかったに違いない。

だが、カードを熟知したノブがブックを見たらどうなるか。
数回とはいえ対人戦を経験して、実戦データをフィードバックしたブックなのだ。研鑽に励むセプターならば、対コンピュータ戦ブックとの相違点に気づくだろう。ノブは行間を読みながら戦術の解析を行い、私の思考パターンの――私が陥りがちなミスも含めて――完全解析に至る筈だ。
……パラノイアックな妄想ではない。私の編集したブックは全10種。4種のブックは地・水・火・風の属性強化ブックであり、これに奇策めいたブックを加えて5種。残る5種は自らのブックへの対抗策を編集しておいたのだ。
解析に必要なデータが整然と提示されているではないか。



「先週、なぜノブが来なかったのか判ったよ。あいつとは一緒に仕事をしてるし、僕がどの程度のレベルなのか見切っていたんだろうな。佐藤と3人でカルドセプトをやったとしても、結局はレクチャーで終わるって判断した」

自嘲の滲む声で玉吉が語る。

「まあ、その通りだ。おまけに、僕がカードを欲しがる事まで予測した」

「そうか。僕とノブでレクチャーした場合、事務所へ頻繁にやって来るノブのデータが残される可能性が高い」

「だろ?佐藤も警戒して、ノブの目に触れる所に自分のデータを残そうなんて考えなかっただろうし、今日の僕にしても、冷静だったらあいつに佐藤のデータを渡そうなんて思わなかったしな」

敵に優位を与える人間は、世間知らずの善人かバカだけだ。

「結局、僕はデータ収集のダシに使われたワケだよ」

自嘲の背後に憤怒の気配が見えた。

激情。
それが私の心に違和感をもたらした。
データ収集に腐心するあまり、ノブは次回の対戦で玉吉に報復されると考えなかったのだろうか?それほどまでに玉吉の力量を軽んじているとは思えない。
彼は蜘蛛が網を紡ぐように、私たちの背後にワイヤートラップを張り巡らせた。目的は実戦データの獲得だが、それすらも手段にすぎない。真の目的は鬼畜対戦に勝利することだ。

――細いワイヤーを玉吉が踏み、トラップの第1段階が作動した。
それは露見し易いトラップゆえ、玉吉の怒りを誘発する結果となった。対象なき怒りは存在しない。結果、ノブは対戦時に自らが玉吉のターゲットとなるリスクをも抱え込んだのだ。

だとしたら。

リスクを帳消しにできる策があるのか。
分かり易いトラップの背後に、微細なワイヤーが幾重にも仕掛けてあるのだろうか?

……激情。トラップ。

そうか。

玉吉との対戦で、ノブはもうひとつのトラップを仕掛けていたのだ。玉吉はすでに2本目のワイヤーを踏んでいる。


さらに。

実戦データの獲得で、ノブは私と同列に並んだ。いや、戦略・戦術レベルでは私を凌駕している。このポジションを保ちつつ対戦で勝利するには、優位を餌としてトラップを構成する戦略が最適ではないか。それが3本目のワイヤーだとしたら、私にも勝機がある。




「玉吉。今度の対戦でノブを叩かないか?」

「おまえと組むって事?」

「カルドセプトは麻雀と違ってターゲットを孅滅しやすいゲームなんだ。2対1のゲーム展開が実現すれば、ノブの優位は剥奪できる」

3本目のワイヤーを崩す第1段階が玉吉との協調だ。それを悟られぬように、私は言葉を重ねた。

「それに、今回の件では僕も被害者だしね。小細工を弄して勝った気になっているノブを奈落の底に突き落としたいと思っている」

頼るべきは玉吉の身に刻印された屈辱の記憶だ。

「――途中までならな」

それでいい。一強皆弱が原則の鬼畜対戦では、優位に立った2人が殺しあうのは時間の問題だ。

「次の対戦までにコンピュータ戦を消化して、スキルを上げておくよ」

そう言って電話を切ろうとした玉吉に、ふと思いついて質問した。

「ところで、僕がファミスタやらないワケを覚えてるか?」

「あ、そういえば佐藤ってファミスタやらなかったねぇ。なんで?」

「いや、いい。それじゃ、また」



忘れていたのか――あの哄笑を、あの屈辱を。
だが、ノブは第2のトラップで私に復讐の機会を与えてくれたのだ。それは遅効性の毒物のように玉吉を蝕み、彼がカルドセプトに習熟するほど効果を発揮する。鬼畜対戦が実現する頃の玉吉は、どこに出しても恥ずかしくない立派な弱者に育っているに
違いない。

――玉吉。おまえには踊ってもらう。

それは死の舞踏だ。ステップを踏むごとに毒がまわり、1秒ごとに指先から勝利が遠ざかる。やがてゲームが終わる頃には今日以上の屈辱にまみれ、怒りに我を忘れながらチップをテーブルに叩きつけるだろう。

大量のチップを。

姑息な策を弄したノブにもその償いはさせる。
ノブとコンタクトを取り、これ以上のトラップを仕掛けぬうちにトラップを崩し、その策謀が無駄だったと認識させなければならない。
そして、私が為すべきは彼の最大の弱点――精緻な戦略と奇策めいた戦術を瓦解させる不安定要因――である思い込みを見極めることなのだ。

屈辱には報復で応え、策略には陰謀で応える。
それが正しい鬼畜の姿だ。


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